「今回は、TV業界の過酷な視聴率戦争の中、平均視聴率 26 % という驚異的な数字を叩き出したお化け番組に、果敢にも真っ向から立ち向かっていった男達が主人公です。」

「彼らは、倒産の危機を乗り越え、 25 日間という非常に短い期間で、 日本特撮界に燦然と輝く作品 を見事作り上げることに成功しました。その成功の影には、いったいどんなドラマが隠されているのでしょうか?」

「では、早速、当時の状況からご覧下さい。」

昭和45年

人々が大阪万博に興じる中、
戦後最長と言われた「いざなぎ景気」が終わった。

3月には、「よど号ハイジャック事件」が勃発。
深刻化する公害問題ゴミ問題とともに日本中に暗い影を落とした


そんな停滞する雰囲気とは裏腹に、人々はテレビに熱中していた。

時は、プロ野球読売巨人軍の黄金時代
前年、巨人軍はV5を達成し、その勢いは留まることを知らなかった。
皆、居間のテレビを囲み、長嶋らの活躍を見ては、日頃の憂さを晴らしていた

その巨人軍人気に後押しされて、一つのテレビアニメ番組が登場した。
読売テレビ(日本テレビ)
巨人の星
である。


努力根性で巨人軍のエースにまで上り詰める主人公親子の姿を、
人々は自分たちに重ね合わせた。

そして、もう一度頑張らなければと思った。


巨人の星 は空前の大ヒットを記録し、
平均視聴率
26 % というお化け番組に成長した。


その影で、ライバル局各社は、頭を抱えていた。
これ以上、
巨人の星 独走見過ごすわけにはいかなかった



武田信敬



そんな中、
フジテレビ編成局長 に就任した。
今でも伝説として語り継がれる、企画のプロフジテレビ番組の源流を作った男であった。

当時、フジテレビでは
巨人の星 と同時間帯の視聴率を争うため、同じスポ根もの、女空手を題材にした 紅い稲妻 (原作:上原正三) の企画が進行していた。

武田 ダメ だと思った。


同じスポ根ものでは 巨人の星 に勝てない。
新しいブームを作らなければならない。

武田 は密かに 巨人の星 に変わる、次のブームを模索し始めた。



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